石徹白は岐阜県と福井県の境に位置しています。 岐阜県ですが少し西へ行けばすぐそこは福井県和泉村。 金森長近が越前より飛騨へ侵攻侵攻時、越前大野からこの石徹白を通って白鳥経由で白川郷へ入ったとされています。 今回は高山〜荘川〜白鳥〜石徹白のコースで回ってみました。


  ●石徹白へは、あの長滝寺のすぐ近くから入る道があり途中、日本の滝百選に選ばれている「阿弥陀滝」などをを見ながら調査に入りました。 石徹白という地名の由来は諸説在るようですが、ハッキリとは分かっていないようです。 この地にすむ人々の名字にも特徴があって石徹白さん、上村さんなどが多くいらっしゃるようです。 この石徹白へはいる前、事前に白鳥図書館に立ち寄って石徹白城のこと、またこの地のでの本願寺関係についての予備知識を入手して行ったわけですが、石徹白そのものでは余り収穫はありませんでしたが、石徹白城跡の確認だけはできました

  ●その他の調査はほとんど白鳥図書館にておこなったわけですが、何故かというと、ことのほか図書館に貴重な資料が多くあり、その場を離れることができなかったのです。 白鳥図書館にはさすが、北陸に近いことがあって一向一揆関連の本や白山信仰の本が岐阜県だけではなく石川県・福井県の資料も多く揃っていて飛騨ではなかなかお目にかかることのできない資料にも触れることができたと実感しました。 とくに「郡上史談」という会員の投稿によって作られている会報のような雑誌があり、その中に内ヶ島氏と本願寺のことに触れている文章を見たとき、「これは!」と思いました。

 
 ●「北濃一揆考」と題で書かれた文章の中に1539年に起こった「畑左兄弟の争い」に呼応して本願寺、照蓮寺、安養寺と内ヶ島氏・三木氏の関係が当時の文書に解説が付けられており、争いに巻き込まれた?安養寺を罰するために本願寺は照蓮寺(内ヶ島氏)に要請したことや、内ヶ島氏が安養寺のある郡上まで出てきたのは何故か? 郡上は東氏の領地なのに何故、内ヶ島氏が苦もなく侵入できたのか?など・・・推測を加えながらかなり詳しく書かれています。 これを読んだだけでも内ヶ島氏と照蓮寺の関係はかなり良好だったことが分かりました。


石徹白は標高が700m以上の地域で白川郷より高いんですね。 冬は雪が多く、写真にもあるようにスキー場もアリ、別荘もたくさん作られています。 夏は夏は涼しいでしょうねぇ〜、しかし白鳥から石徹白への道はかなり急な峠道というような感じで、この道を金森長近は往復したのかな?なんて考えると、つくづく当時は大変だっただろうなぁ〜って思います。 

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