1999年、「帰雲城と内ヶ島氏の謎」を開設以来、帰雲城と内ヶ島氏の謎をご贔屓にして頂きましてありがとうございます。  お陰様で、帰雲城と内ヶ島氏の謎も5年目を迎え、ボチボチですが地道にやっておりますが、帰雲城探しというテーマは一向に進展が無く、未だに何の手がかりも見つかるには至っていないのが現状です。 私が所属する「埋没・帰雲城調査会」も行動は手詰まり状態であることは否めないと考えています。 そこで、”幻の城探し”からは距離を置いて、、これまた謎の多い「内ヶ島氏」という戦国大名についてスポットを当てるべく、新たにサイトを立ち上げることにしました。 もちろん、帰雲城と内ヶ島氏の謎でも内ヶ島氏についてある程度、解説をさせて頂いてはいますが、その後の調べによってさらに詳しく内ヶ島氏のことが分かってきて、また新たな謎に遭遇することとなりました。  見切り発車ではありますが、このサイトでは「内ヶ島氏」について出自から本願寺との関係、また天正大地震で滅んだ後の内ヶ島氏の動向、さらには飛騨を離れて越中・信州またその他の地方にまで足を延ばし内ヶ島氏の120年+αまで徹底研究するサイトにしていこうと考えています。


内ヶ島氏には肖像画はありませんし、内ヶ島氏に関する文書 やその他史料もほとんどと言っていいほど残っていません。 それは、もちろん天正大地震によってほぼ全員が生き埋めになってしまったのが原因です。 したがって後に書かれた文献を見ても書かれていることは統一性がありません。 その数少ない史料の中から真実に最も近いと思われるものを選択し、場合によっては大胆な推理をしなければならないと考えています。 内ヶ島氏だけを見ているとなかなか史料その他から推理していくのは大変な作業ですが、幸い、関係の深い人達で比較的、史料の残っている「金森長近」率いる金森氏、そして「蓮如・顕如」率いる本願寺などです。 これらをくまなく調査することで、これまで見えなかった内ヶ島氏の本当の姿がおぼろげながらも見えてくるようになってきました。 さらに金森氏・本願寺については心強い味方といいますか、協力して頂けるサイト、、、金森氏については「金森戦記」のRyoさん、本願寺(一向一揆)については「一向一揆戦線」のHONさん、そして一緒に内ヶ島氏について調べている作者の盟友でありメールマガジンをも共同で発行を行っている、「城感」のたぐ氏。。。 


さて、このサイトが今後どのように展開していくのかと言いますと「内ヶ島氏」という小さな戦国大名にこだわっているので、かなり掘り下げたものになろうかと思っています。 帰雲城と内ヶ島氏の謎では載せきれなかった内ヶ島氏に関する情報を余すことなく展開していこうと考えています。 加えて、調査に訪れた地方の紀行文や集めた資料の分析と公開、これまで表面的にしか語られてこなかった内ヶ島氏の裏側にも光を当てていければ・・・と考えていますが、巧くいきますかどうか? 


 


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送